兄への道は一日にしてならず

春歌非血縁エンド。
私はシスプリ初心者なわけで、要するに妹たちの表面しか知らなかった
のですが、春歌攻略中思っていたのは「無理しすぎなんじゃないの?」
でした。

春歌ははっきりいって完璧超人です。しかもそのうえ数々のお稽古事に
通い、自分を常に磨いています。全ては「兄君さまにふさわしい大和撫子
になるために!」
正直なところ、私はゲーム中春歌にこう言ってあげたかった。
「ふさわしいかふさわしくないかで言えば春歌はふさわしくないよ。
ああ、そういう意味じゃなくてさ、僕が言いたいのは僕には春歌は
出来過ぎってこと。僕なんかにはもったいないくらいだよ。だからさ、
そんなに無理しなくてもいいんだ。何かができるできない関係なく
僕は春歌が好きだから」

また、無理はしてないとしても、どうも春歌は「精進」という言葉に
酔っているんじゃないかという気もしました。夏目漱石の「こころ」
における先生の友人Kのように。

ですが。今非血縁エンドにたどり着いて、その考えがいかに浅はか
であったか。

彼女は。楽しんでいました。愛する兄君さまのために自分を磨くことを
楽しんでいたのです。
好きな人を想って自分を変えていけるというのは、楽しいことなんですよね。
まさに愛の力。彼女はそれを体現していたに過ぎないわけで。
これに気づいたときに、シスプリとは、「妹」が主役の物語なんだなあと
思いました。プレイヤーは「兄」というフィルターを通して、「妹」という
女の子を見守るゲームなんですよね。これ。妹の想い人であっても、ゲーム中
で描かれるのは恋愛じゃないんです。恋愛はエンディングのあとだったりするわけで。
春歌はこのことに気づかせてくれました。たぶん他の妹だと「萌え」にばかり
目がいってこのゲームの真の楽しみ方が分からなかったかも。

というわけで。シスプリ、かなり奥が深いです。なにせいろいろと語りたく
なっちゃうんだもの。しばらくはシスプリ漬けだなあ。